谷崎は松子夫人との同棲を機に昭和九年から十一年まで芦屋に暮らし、後に『細雪』の舞台としている。記念館は昭和六三年十月に開館、長らく財団法人芦屋市文化振興財団が管理していものが、指定管理者制度導入にともない運営者が芦屋市内でギャラリーを経営する三有に移り、今回の新装開館となった。京都時代に谷崎が住んだ「潺湲亭」のそれを模した庭園は従来からの見ものである。今後はロビーを美術品ギャラリーとして使用し、また谷崎関連の文化講座を開講、まずは鎌田明子氏を講師にむかえ「英訳で読む『瘋癲老人日記』」の開講が予定されている(五月十日から十月十一日までの第二水曜日)。問合せは谷崎潤一郎記念館 0797-23-5852まで。実際に谷崎と松子が最初の二年間を過ごした家は、現在も記念館からそう遠からぬところで富田砕花旧居として公開されていて、記念館とともに巡りたい。
なお京都「潺湲亭」はこれまで非公開だったものが、今秋からの公開が決定している。一方谷崎が大正一三年震災を機に関西に移住して最初に住み、『痴人の愛』を執筆した神戸本山の家は、残念ながらこの夏に解体がせまっているそうである。

解体近いという本山のおうちも観に行かなくては…。
イヅミ****さま、
良い情報をありがとうございました。
まあ、京都の家が公開されるようになると、こちらの庭の意義はやや薄れるかも。「ナオミの家」は今月1日糟2日に一般公開日が設けられていたようです。今後中を見られる機会はないかも知れません。
芦屋市美、現状維持の為の署名運動がありましたがいよいよ指定業者管理ですか。国立大学の独立行政法人化等と同じ流れなのですね。これまでアーティストのパフォーマンスを収めたDVDなど独自製作していたのがどうなるのでしょうね。
譲二とナオミの「御伽の家」のモデルということで、
外観だけでも見たいものですね。
付近は散歩などにもよさそうなところですし。